青森市自治基本条例に反対するブログ。

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弘前市自治基本条例にも反対してみる2

今日は、「弘前市自治基本条例にも反対してみる」の第2弾です。
弘前市自治基本06
 市民はこうあるべきという考え、理念を条例で規定し、強制するということの異常性に気付いてほしいですね。
 現在の日本では、最低限のネガティブリストと言える法を犯さなければ、どんな理念(こうあるべきだという根本の考え)を持ち、たとえそれを表明しても、善良な国民として普通に暮らせているわけです。
 それに対して、自治基本条例は、市民に対して憲法が求める以上の責務だの義務だのを要求をしているケースが数多く認められます。例えば、社会的弱者への配慮をしなければならないだとか、協働しなければならいだとか、まちづくりの主体であることを自覚し、積極的にまちづくりに参加しなければならないとかそういう類のものです。
 条例制定後に、もし私が「俺は協働なんてしたくない、そんな下らないことに時間を取られたくないから、その代わりに税金払ってるんだ。協働している間の俺の時給5000円払えるのか?ふざけるなよ。」と言ったとしましょう。これは、罰則こそ与えられないもの完全に条例に違反した行為となります。
 つまり、自治基本条例が制定されたところでは、特別な義務を負わされ、他の地域なら何ら違法性のないことが、自治基本条例の制定されたばかりに、条例違反という違法状態になってしまうのです。
 みなさんは、こんなバカげたことに怒らないのでしょうか?私は、バカげた条例のおかげで自分が条例違反の状態になるなんて気分が悪いです。
 さらに恐ろしいのは、この条例が市民の間に浸透し一般化した場合です。
 先ほどの、協働を拒む私が条例違反となる例ですが、私以外の市民が自分の欲望を抑え、条例を遵守して暮らしているとすれば、私は傍若無人に振る舞う敵視すべき対象となるのです。罰則を与えられない分、その憎悪は増してゆき、必ずやいじめ(村八分)に発展するでしょう。このいじめの構図こそ全体主義なのです。
全体主義とは、とにかく全体の方針に従うべきという考え方とその(社会)現象のことを言いますが、もっとわかりやすく例示するならば、国民が共通の理念を持つ全体主義で有名な国家、お隣の朝鮮民主主義人民共和国、通称北朝鮮が有名です。彼らの体制のことは、我々日本人がとやかく言うことではありませんが、我々の体制とは明らかに異なることだけは明言できます。
 自治基本条例における理念の共有を条例という強制力をもって担保しようとする考え方は、まさに全体主義を実現につながるもので、我が国の現体制とは根本的に異なる危険性を有するものであると理解すべきでしょう。
弘前市自治基本07
 地域のことは、地域に住む住民が決めるとありますが、現在も地域のことは地域に住む住民が決めています。
 但し、代議制でやっているということです。
 では、なぜ欠点ばかりの直接民主制の手法を取り入れようとするのでしょうか。
 まちづくりの「道しるべ」としての自治基本条例、「わが町の憲法」としての自治基本条例、この際何でもいいけれど、直接民主的な市民参加を認めないなら、いいんじゃないですか、わが町の誇り高い歴史紹介から始まる前文とともにどうぞ好き勝手に作ってください。
 一般の人たちは、それでいい、いやそのほうがいいと言うでしょう。
 しかし、この条例を仕掛けてきた人たちは、それじゃやる意味なんてなくなっちゃうんです。
答えは次のスライドで。
 おまけ
 地域主権という言葉は、そもそも国家の下に存在する地域に主権があるはずもなく、国語的には成立しないことは明白です。
また、政治的な言葉として考えても、民主党政権が崩壊して以降は使用されることのない死語といえます。
弘前市自治基本08
 直接民主的な市民参画を保障することで、政策立案に与える具体的な影響を考えてみます。
 先ず、現在の政策立案しくみでは、上の図のように政策を立案する市長を選挙で選んでいますので、市民(有権者)は平等に一人1票を投じることにより、政策の立案を間接的ではありますがコントロールしているわけです。
 しかし、市民参画というしくみは、参画できる者と、時間が取れず参画できない者の間に政治参加の機会不平等をつくるだけでなく、積極的な市民参画という錦の御旗の下で恣意的な政策のコントロールが行われる危険性を作ります。
 また、それを少数派が利用することで、政策立案への影響力において少数派と多数派が逆転してしまうという、民主主義の基本ルールが破壊される事態が起きてしまいます。
 ではなぜ、少数派ばかりが市民参画するという私の想定を疑問に思う方も多いでしょう。
 たとえば、青森市自治基本条例検討委員会は、開始以来、平日の夕方最低2時間以上の委員会を30回以上開催、そのほかにも平日休日問わずイベントを多数行っています。
 このスケジュールの中で自分の生活を犠牲にしてまで参画しようと考える人とはどんな人でしょうか。 現状に概ね満足している人は、参画するでしょうか?
一般的に多数派の人々は、選挙結果を通じて自分の主張が政策に反映されていることが多く、行政に不満が少ない分だけ市政への関心は低いため、自分の時間を犠牲にしてまで参画しようとは思わないと考えられます。
 一方、少数派は、政策が多数派主導で形成されるため、行政に対して不満が多く、市政を変えることが自分の利益に直結していることから、自分の時間を犠牲にしてまで参画しようと考えるということです。
  うがった見方との指摘を恐れず言えば、市民参画の目的は、利権、利益、名誉、政治活動、思想活動さまざまあるでしょうが、いずれにしても何かを得るためと考えられます。
 また、仮に滅私奉公の精神で市民参画をしようと考える人もいるとしても、少なくとも制度設計においては、悪用されることも想定しなければならないことは間違いありません。
弘前市自治基本09
では次に、市民参画がどのように政策立案から決定のプロセスに影響を与えるか、もう少し具体的に、かつ現在のしくみと対比しつつ考えてみます。
 先ず、上が現在のしくみで、政策立案には少数派への一定の配慮をしつつも、基本的には市長選挙で勝利した青の勢力の影響力が大きく反映されています。
 その政策案が、議会での議論の中、すなわち議会選挙の結果を反映した議論というフィルタを通ることによって、多数派、中間派、少数派ともに納得できる政策に落ち着く、これが議会制民主主義の目指すところと言えます。
 一方、自治基本条例制定後の政策立案は、公募市民による市民委員会の設置が義務付けられますので、この委員会さえ押さえてしまえば、実数としてはたった5%しかいない緑色の勢力が他の95%の多数派を抑えて、自分たちの影響力を反映させた政策を立案できるということになります。
 これこそが、悪意を持って自治基本条例推進する勢力の狙いと考えられます。
 また、最終的に政策決定を行うのは議会なので、少数派が政策立案に影響を与えるからといって、心配は必要ないとお考えの方もいると思います。
 しかし、自治基本条例には、市民参画を含む市民自治の推進が明記されており、それが本市の自治の基本だとされる状況で、議会が市民委員会の立案した政策を否決したり、大幅修正を加えることがはたして可能でしょうか。
 議会が市民委員会の案を否決しようものなら、自治基本条例の中で市民参画とセットで導入している常設型の住民投票で議会を叩くことも十分に考えられるのではないでしょうか。
 また、仮に住民投票制度がなくても、市民委員会は、「議会は市民自治を無視、既得権を守ろうとしている」などと言ってマスコミに働きかけ、あっという間に自分たちに有利な世論を形成することも可能でしょう。
 それを言わば人気商売ともいえる議員が、どうしてはねつけることができるでしょうか。
 自治基本条例の狙いの一つは、直接民主的な市民参加を保障し、その意思決定に協働だの尊重だのという形で条例で権威付けをすることで、選挙では勝てない少数派が、政治的主導権を握ることを可能とするということであると理解できます。
2ページ前のスライドで申し上げた、直接民主的な市民の政治参画を保障しなければ、この条例を本当にやりたい人たちにとっては条例の意味が全くなくなるというのは、こういうことです。
弘前市自治基本10
ここで、直接民主制の欠点についておさらいしておきます。
判断力の乏しい民が意思決定に参加することで、議論が停滞したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、誤った政策執行に至る。
利益誘導や、地縁・血縁からくる同調、刹那的な感情や利己的な欲求等さまざまな誘引に導かれて意思決定を行なうことで、コミュニティ全体に不利益をもたらす。
場の空気に囚われ、誰も望んでいないことや、誰もが不可能だと考えていることを合意することがある。など何一ついいことなどありません。
それにも関わらず、市民参画などという直接民主制的な取り組みが何故必要なのでしょうか?
少数派の勢力が選挙を介さず、政治の主導権を奪おうと画策しているのでしょうか。
行政が民意をねつ造し、議会の反対派勢力を抑え込む議会対策として画策しているのでしょうか。
直接的な市民参画が麗しく感じられるほど、議会は市民の期待に応えられていない状況にあるのかもしれませんね。
弘前市自治基本11
先ほど、私利私欲を排して、滅私奉公の精神で市民参画が行われるなら…と言いましたが、
市政に参画する市民の資質というか、少なくとも私利私欲のための市民参画ではないという最低限の正当性は担保されなければならないことは、誰も疑う余地がないでしょう。
 しかし、結論から言うと、参画市民の正当性は担保はできそうにありません。
 先ず、参画市民は、どこの誰かわかりません。青森市自治基本条例検討委員会でも、委員の思想信条、利害得失を判断できるような経歴等は個人情報として一切明かされていません。
 次に、参画市民は、誰の信任も得ていません。
市長や議員のように選挙で選ばれているわけでも、公務員のように試験で選抜されたわけでもない、自らやりたいと手を挙げただけの人です。
 さらに、参画市民は何ら責任を問われません。
市長や議員は、その発言や行動が収賄や利益誘導と認められる場合、処罰や解職請求等で職を追われますし、公務員も法により職務専念義務が定められており、それに反すれば処分されるのとは大違いです。
 また、問題は参画市民だけではありません。
行政側の恣意的な選考により、市民参画を悪用して、かんたんに世論をねつ造することができます。(市の政策に対して反対する一派の封じ込め等に利用することが可能です。)
弘前市自治基本12
先ほどの参画市民の正当性担保の問題を裏付ける証拠をお見せします。
この黒塗りの書類は、青森市自治基本条例検討委員会の委員の応募書類です。

 外国人への住民投票権付与などの重要案件を、ほとんど議論もなく、かんたんに決定する委員会に疑問を感じた私が、公募市民の応募書類からその思想的な背景を知ろうとして、情報公開請求を行った結果、出されたものです。
 個人情報を理由に応募動機や、自治基本条例に対する考え方まで塗りつぶされた応募書は、まさに公募市民はブラックボックスである証拠といえるでしょう。

また、情報公開に際して、市役所に対して以下の質問というか要望をしています。
Q1.応募要件中の「青森市民であること」とあるが、住民となった日がいつか知りたい。
(本件市民参画のために住所を青森に変更している可能性を排除すべきと考え求めたもの)
A1.応募書に記載の住所で確認しており、住民票は取っていない。
Q2.応募要件の「政党の役員・職員でないこと、その他政治団体の関係者でないこと」について調査した資料を見たい。
A2.応募書に記載の経歴で確認しており、調査はしていない。
Q3.市民にとって最も重大な義務である納税について市税滞納がないかどうか調査した資料が見たい。(市民の代弁者とも言える委員が市民の義務を果たしてないなどあってはならない)
A3.市税滞納は応募要件にないため、そのような資料はない。

 応募書に書いてあるから、それで確認したって、あまりにも無責任だと思いませんか?
 附属機関たる委員会は重大な意思決定に大きな影響を与えますが、このような委員会設置にあたり、何らかの組織の人間が政治的目的達成のために潜り込んでいるのか、利権を狙う企業が人を送り込んできたのか、全く分からないという行政は、あまりに無責任と思う人がほとんどでしょう。
しかし、事実は違います。委員の個人情報を調べないのではなく、調べられないのです。
警察のような捜査はできないのです。
そんなことも確認できない市民参画なんて、そもそもやること自体が無責任だろうということです。
弘前市自治基本13
 先に述べたように、市の政策は、巨額のマネーを動かし、巨大な利権を作り出すだけでなく、政治的影響力、思想的影響力にも大きく作用します。
 自治基本条例が施行され、市政の重要事項について市民委員会と行政の協働による政策立案が義務付けられ、公募市民による市民参画が制度化されたら、企業、NPO、政治団体、宗教団体、暴力団、外国人勢力、ありとあらゆる組織が、市民委員会に利権、利益、政治的、思想的、さまざまな目的を達成するために組織ぐるみで人を送り込んでくることは、避けられないでしょう。
 それに対して市役所は市民の利益(公共の福祉)を守ることができるのでしょうか。
 無責任とも思えた「応募書に書いてあるんだから、それで確認すればいい」という発言は、裏を返せば、それで確認するしかないということなのです。
市役所は、公安や警察ではありませんから、公募市民の思想信条や経歴を応募書類以外に調査する権限があるはずもなく、調査することは不可能なのです。
 つまり、悪意を持って市民参画しようとする者を排除することは事実上不可能、公共の福祉は守れないという結論に至ってしまうのです。
 もうこれだけで、市民参画の話なんて却下すべきです。こんなことなら、自治基本条例なんてやめようと思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
弘前市自治基本14
 市民参画の正当性を保つことは、もはや無理な気もしますが、それでもなお市民参画を考えるなら、当然参画市民を適正に選ぶ方法論になるはずです。

 市民参画の意義について、幅広く市民の意見を集め、行政施策に反映させるためというのは、表向きとしては、自治基本条例賛成派、反対派問わず異論のないところでしょうし、
つまり、図の左側のように、予め偏った人を委員として集め又は集まり、恣意的な結論を導くという手法は、ダメということは明白です。

 先ず、参画する市民の選抜方法ですが、人選が偏らないためには裁判員制度と同様に無作為抽出で選ぶことに行き着くと思われます。
 しかし、先に述べたとおり、市民とはグループに分かれて対立する存在ですので、無作為抽出で選ばれたバラバラの市民は、よほどの偶然でもなければ、確実に対立が発生し、委員会が一致した見解、結論を得るのは理論的に無理なはずです。
 例えば、自民党の支持者と社民党の支持者の間で議論をしたらどうでしょう?おそらく、何一つまとまらずに、ただただ時間ばかり、コストばかりがかかって、最終的にも何も決められず終わるでしょう。
 これに対して、すべての議題がそのような対立になる訳ではないという反論が聞こえてきそうですが、ならば、お互い納得できるような対立の起きない問題など、そもそも最初から議論の必要すらない当たり前のことではないのか、なぜコストをかけて市民参画で話し合う必要があるのかということにならないでしょうか。
 結論としては、はじめから複数案がでることを想定してアンケート調査を行ったほうが、コスト面からも断然有効ということになります。
 つまり、正しい市民参画は、必然的に決裂し、決裂前提なら、アンケート調査のほうがコストがかからない。市民参画で結論が出るような問題は、そもそもコストをかけて市民参画で論じるひつようもない当たり前のことだということです。
弘前市自治基本15
 次に市民参画が金食い虫だという話をいたします。
 プロの行政マンが日常業務の中でできることをわざわざ素人の市民を参画させて、業務時間外に作り上げていくのだから、時間もコストもかかるのは当たり前の話です。

 青森市自治基本条例検討委員会においても、少なく見積もっても600万円以上のお金が無駄になっているようです。
 この600万円で地域の災害対策として小型の発電機を買うとか、雪かきの機械を買って、地域に貸し出すとか、いくらでも有効な使い道があったのではないでしょうか。
 
現在のような財政状況がひっ迫する中、高いコストをかけて、こんな危険性を持ち、まったく効果のないしくみに税金を使おうなんて、どうかしています。
弘前市自治基本16
自治基本条例の核心部分である市民参画は民主主義を破壊する危険なシステムであること、また、そもそも役に立たないしくみであるということ、自治基本条例には隠された危険な思想があること、外国人参政権の突破口としての住民投票制度が捉えられていること、自治基本条例は、少数派政党・外国人勢力・自治労という左翼労働組合などの組織が、自らの勢力拡大の目的で仕掛けてきた戦略だったということ。
そして、よい部分なんて所詮はどうでもよい部分だったということ。

つまり、自治基本条例は、市民が行政に参画、これからは自分たちのことは自分たちで決める!市民の声を市政に!というようなイメージを前面に出して進められていますが、 具体的に見てみれば、百害あって一利なしのとんでもない条例だとは思いませんか。




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Date:2014/02/24
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